Column
街の報せが聞こえるかい?
ceroがケリをつけた
2016年のシティ・ポップ

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ーシティ・ポップは、つかの間の都市幻想に過ぎないのだろうか?
随分と脇に逸れてしまったが、話を元に戻そう。

ceroに初めて出会ったのは「WORLD RECORD」が発表された2011年、とある大学で行われたフェスに、サニーデイ・サービスを見に行ったときだった。その時からずっと僕はceroが描き出す街の住人だ。停電になっても(“大停電の夜に”)船が座礁しても(”Yellow Magus”)、時には学校を抜け出して、秘密の逃避行をして(”Orphans")。

この街は架空なのだろうか。どこにあるのだろうか。と、それこそエスケープ的な想像を張り巡らせながら、彼らのルーツが西東京にあるということ、"武蔵野クルーズエキゾチカ"や"Comtemporary Tokyo Cruise"などの曲名から、ああきっと東京のどこかにあるのだろう、と解釈していた。

そんな折、2016年12月7日に発売されたceroの3rdシングル「街の報せ」。 フックになっているのが、《Can you hear the calling from the city?》という一節だ。そしてVIDEOTAPEMUSICが監督を務めたMVには、東京の街やツアー先の風景が美しく収められている。このとき僕は衝動に駆られて、地元埼玉の、駅から家までの映像をいくつも撮影した。そして街の報せをBGMにしてみた。そうするとこれまで以上に、自分の街が好きになった。街の報せが、聞こえた気がした。ceroが描き出す街は、現実に、こんな近くにもあったんだ。

そしてこれが、彼らの描き出すシティ・ポップなんだ。そう思った。

70年代のシティ・ポップが
「きっと街は素晴らしい。」という都市幻想なら、

現代のシティ・ポップを表現するとしたら
「それでも街は素晴らしい。」

シティという言葉や範囲が洗練されて、憧れのボーダーが低くなった今だから、逃避先はアメリカだったり、南国だったり、ロマンティシズムとヒロイズムにまみれた知らない土地だったりする。それも最高だ。時間に真っ向から抗う同年代のバンドマンもいるし、今だからこそラウドな声で、何度でもオールライトと歌い続けるバンドマンだっている。

一方で、かつて若者が憧れた都会が均一化されて魅力が相対的に減ったように見えても、ちょっと立ち止まって街の声を聞いたら、こんなにも美しく映るのだ。かつて歌われていた「シティ」が存在しない世界でまだ見ぬリゾートだったのだとしたら、ceroの歌う「シティ」には、現実がある。彼らの曲を聞いているとき、ライヴを見ているときに込み上げる涙の中にほんの少しの「悲しみ」が混じっているのも、余りにもそれが「僕たちの物語」だからなのかもしれない。そして何より、幾ら反戦歌を作っても防げない<3.11>という天災後の世界だからこそ一層、街が美しく、愛おしく、そして切なく映し出されるのだ。

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